●5月21日
デジカメとモミモミ。
昨年買ったデジタルビデオカメラを売り払ってデジタルカメラを購入した。
よく考えてみると、ウチには子供がいない。だから運動会も、お遊戯会も、遠足も、
ピアノ発表会もない。何もイベントはない。よく考えなくてもわかることだが。
従ってビデオカメラの出番はまったくなかった。なぜ買ったのか不思議だ。
最近のデジカメは画質が飛躍的に向上している。価格も驚くほど安くなっている。
この世界の技術的進歩は目を見張る。私が買ったデジカメも半年もすれば旧型になる。
半年後「この性能で、この値段か!」。そうボヤく私の声が聞こえてくるようだ。
私は必死で店員と価格交渉をしている。「あのさー、そこを何とかさ、頼むよ。お願い」。
「いやー、お客さん、勘弁してくださいよ。ウチも、これ、目一杯なんですから」。
「わかった。じゃあさ、あと消費税分まけてくんない?」「ええー、きついなー」。
私が店員と消費税をめぐり必死の攻防をしているとき、妻と妹は、按摩、モミモミ。
「新発売・手もみ感覚マッサージチェア」に座って、電動モミモミをされていた。
3台あるマッサージ機の一台に座った80歳近いおじいさんと世間話などしながら…。
いい気なもんである。痛い、痛い。私、肩、凝ってるのね。驚いた、トシかなー。
妹は妹でウットリしている。半分、眠っていたようだ。この女はどこでもすぐに寝る。
商談を終えた私は言う。おい、そこの肩こり肉体派、帰るぞ。バカでも肩は凝るらしい。
杏仁豆腐が笑っている。
ご近所の中華料理がおいしいペンション「シェンロン」のご主人から招待を受けた。
「ウチの杏仁豆腐を食べに来ませんか」。行く! 何があってもお招ばれされたい。
私は、杏仁豆腐、ごま豆腐、プリン、水まんじゅう等のプニプニ系が大好きである。
ご主人・中華の竜さんとは、拙HPが強引にリンクさせていただいた縁で懇意になった。
妻は「私が風邪をひいたときは、あれを食べさせて」と、
懇願するようになったが、いまだ風邪をひく気配はない。
3人でお邪魔した。ペンションは清潔できちんと整えられており、とても気持ちがいい。
当初、竜さんは極上の紹興酒をご馳走してくれる予定だったが、
私がまったく酒を受け付けないので、では杏仁豆腐をということなのだ。申し訳ない。
まずは中華パイ。パイ生地のサクサク感。手焼きの香ばしさと中華風味が口中に広がる。
妻&妹は、あまりのおいしさに声も出ない。ただ黙って口をモグモグさせている。
いよいよメインイベント杏仁豆腐の登場だ。ほどよい大きさの器、そこで白が笑っている。
杏仁豆腐の豊潤な白の輝きが、早く一口食せと言っている。ざっくり盛られた杏仁豆腐。
チマチマとした角切りなんかではない。できれば大きめのスプーンでガッと食べたい。
メロンの香りがする。聞けばメロンを搾ってその汁を少しかけてあるという。
バランスが絶妙。ほどよい抑制が杏仁豆腐の味を邪魔していない。うまかった。
その後、竜さん、奥さん、ウチら3名は、伊豆高原のおもしろ噂話に盛り上がる。
ハリネズミ捕獲方法の検討。竜さんが見たという野性のキツネの美しさについて。
2時間半、話は尽きないのだ。その間、ご夫婦は何も口にしなかった。お茶一杯さえも。
それは、まさしく料理人あるいはプロの接待人?の心意気であろうか。
こんどはウチにも遊びに来て下さい。コーヒーくらいしかお出しできませんが。
ウチは招いたお客さんよりもガブガブとコーヒー飲んだりします…、いいですか?
うまい中華料理を食べて、露天風呂の温泉に入って、の〜んびり寛いで、
翌朝、絶品の中華粥に舌鼓を打ち、シメに杏仁豆腐を食べたい人は「シェンロン」へ。
丸山健二「夕庭」の紹介。
これは普通の写真集+エッセイ本ではない。
私が至高の小説家と決めている作家丸山健二の自庭を紹介した崇高な一冊。
読む人が読めば庭造りのバイブルとなる一冊に違いない。
「夕庭」の表紙(朝日新聞社刊2900円)
タイトルを「夕庭」という。帯のコピーには、こうある。
感動と希望に満ちる朝庭を二番とし、
官能と陶酔に包まれる夕庭を一番としたい。
弧高の作家が、ペンを鍬に持ち替え独力で造り上げた至高の庭園。
後半生を懸けたこの庭を、2年間の四季を通して撮影。
350坪の庭園すべてに丸山健二氏の「白い庭」に対する思想や哲学が感じられる。
一点の曇りもない純粋な白い庭。とことん庭造りに力を注いだ男の執念の楽園である。
前作「安曇野の白い庭」につづくガーデンエッセイ第二弾。お薦めします。
「白い庭」に植えられた花の説明文が極上なので少し紹介します(抜粋)。
庭の広さは一切関係ない。情熱とセンスさえあれば、
僅か一坪にも満たない土地に壮大な幽玄の世界を構築することだってできる。
とりわけ珍しい種類の植物を集めたりしなくてもだ。
抑制こそが気品を生み出す母親である。
抑制こそが情念の噴火に直結する火道である。
庭作りで最も大切なことは、何よりも構成であり、バランスである。
白ならば何でも庭に馴染むというものではなかった。
白という色にもかなりの幅があり、派手過ぎる白もあれば、猥雑な白もあり、
また、貧乏臭い白もあった。周囲の緑を際立たせ、
庭全体を引き立たせられる白となると、がっかりするほど少数だった。
「夕庭」には、白い薔薇と、白い山芍薬が数多く植えられている。
●野生種はどんなに派手な花をつけても決して浮くことがない。サラシナショウマ。
●晩夏に別れを告げ、陶酔の紅葉を予告して、ここぞとばかりにハギが咲き乱れる。
●シラユキゲシが早くも散りかけたボタンに向かって言う。「なんて短い花の命なんだ」。
●この花ときたら小説家に向かって「正直に就け!」と命令するのだ。ザ・プリオレス。
●自己を律する遺伝子を持っているとしか思えないバラ、グラミス・キャッスル。
●艶めく緑の葉がおのれの花びらを受け止めるとき美は更新する。シュウメイギク。
●大輪の白花クレマチスが、その妖艶の美でもって絡みついた若木を籠絡する。
●夕日でもって化粧をする花がある。フリチラリア・メレアグリス。
私が追い求めてやまない庭というのは、私がめざしてやまない小説といっしょで、
現実と想像、地味と派手、抑制と浮揚、安らぎとときめき、混乱と秩序、野生種と園芸種、
そうしたテーマのちょうど境目にある、紙のように薄いぎりぎりの狭間に存在している。
どうですか。ガーデニングを楽しんでいる方々、こういう人もいるんですよ。
私の庭は、雑誌で見た英国の小さな教会の「ホワイトガーデン」に触発され、
いまでは丸山健二「安曇野の白い庭」を教科書にしているが、
夕方、改めて「贋作・伊豆高原の白い庭」を眺めてみると、つくづくいやになる。
いやな本を買ってしまったと後悔した。それまでの我が庭に対するささやかな自負など、
木っ端微塵である。完敗。しかし、翌日、早くも新たな庭の構想を練る私に、妻が言う。
「あんたも負けず嫌いね。ほんと懲りない性格。あ〜あ、また、庭が変わるのか」。