●7月29日
昨年、我が家の白バラをすべて成木ごと、
近所に住む独り暮らしの老女に差し上げた。
根付くかどうか心配だったが、ちゃんと白い花が咲いた。
ほっ♪
7月初旬、花が終わる前に写真を撮りにお邪魔した。
老女のシワは以前より深く濃くなっていたが、
それでも白磁のような頬に、うっすらピンク。
お元気そうで何より。
朝夕の散歩を欠かさないとのこと。
足腰の強い人は長命。老女と私の合い言葉。
お茶をご馳走になりながら世間話。
薔薇の剪定や肥料について、あれこれ講釈する。
あるいは伊豆の医療施設の不甲斐なさをお互いに愚痴り、
別荘地の管理費が問答無用で値上げされたことに悲憤慷慨。
週末を利用して別荘に遊びに来る愛犬家は、
絶対に、絶対に、フンを片づけない。
彼らに犬を飼う資格はない!と断罪する。
はたまた同じ近所に住むジイサンは、
いつでもどこでも平気で立ちションするとのこと。
ショボショボと頼りない哀れな放物線。
散歩の途中で老女は何度も目撃しているらしい。
そのジイサンは、かつては恰幅のいいダテ男だったが、
「あれじゃ、かたなしネ」と言って老女が笑った。
私は将来の自分を見るようであまり笑えない。
別荘地と言えば聞こえはいいが、永住の老人には暮らしにくい。
バスは待てども来ないし、買い物も不便、病院も遠い。
クルマのない年寄りは大変だ。
それでも、それでも、この土地が好きだと老女は言う。私も言う。
面倒な近所づきあいもなく、自由気ままな静かな時間がある。
大きな森があり、穏やかな海があり、背後に天城山が聳え、
桜並木があり、洒落たレストランや喫茶店がある。
不意に私は薔薇に問いかける。この世は生きるに値するのかと。
薔薇は私をチラッと見てから、こう言う。
いつまでもウダウダ言ってないで、
誰にも頼らず無為自然に生きてみたらどうだ。
ふむ。
こうも付け加える。
ときどき世話をしに来いよ。薔薇は手間がかかるんだから。
●
老女の家を辞しての帰り道。
噂のジイサンが立ちションをしていた。
どこにも力の入ってない後ろ姿がやけにカッコいい。
野放図な姿勢で道路脇の雑草を濡らしている。
鼻歌まじりの背中が笑っているように見える。
ジイサンが私を振り返って言った。
さあ、兄弟。いっしょに、どうだい。
立ちションしてこの世の憂さを吹っ飛ばそう。
ひとりで悩むような悩みは、悩みじゃねーぜ。
哀しいと思うような哀しみは、哀しみじゃねーぜ。
そんなちっぽけな感情に振り回されて生きてるようじゃ、
わけーの、まだまだ甘いな。
大切なのは、まっとうな怒りと媚びない笑いだぜ。
立ちションする男がふたり。
ジイサンは私の明日で、私はジイサンの昨日なんだろうか。
若者のように鮮やかな放物線は描けないが、
ともに内なる生気は、天をめざす、飛龍のごとく。
7月30日。悩み、憂い、何もなし!
かもん、真夏日!