まえ  つぎ  日記INDEX

2005年12月07日:道草禁止です


一碧湖を見下ろす高台にO池小学校がある。

不動産屋が泣いて喜びそうな絶好のロケーションだ。

いま、低学年の児童が集団下校をしている。

先生あるいは当番の保護者に見守られて。

道草を食ったり召し上がったり咀嚼したり、

ましてや反芻することもできない物騒な世の中。

寄り道ひとつできないなんて、キミたち、つまんないね。

下校途中に仲のいい友達と世間話ひとつできないではないか。

コンビニで「キシトールガム」や「お泊まりセット」を万引きするチャンスもない。

銀行のATMで他人の暗証番号を盗み見ることもできない。

校則では禁止されているが、下校途中、行きつけの居酒屋「すずらん」で、

ちょいと一盃ひっかけて、ほろ酔い気分で千鳥足。

二軒目のスナック「アケミ」に寄ったが、お目当てのママは風邪で寝込んでるとかで、

古顔のホステス・夢子さん(自称28歳・見た目58歳)がお相手だと。ちっ!

歌いたくもないカラオケを歌わされ、飲みたくもないウーロンハイを飲まされ、

挙げ句の果てに「鬼怒川温泉ゴルフ旅行」を約束してしまい、うんざりして家路を急ぐ。

しかし! 集団下校になると、こんなこともできない。

とにかく何にもできない。どこにも寄れない。帰宅まっしぐら。

これじゃ定年間近のマジメなお父さんと同じだ。

帰巣本能だけが異常に発達し、危機管理能力がヤワになっていく子供たち。

私が子供の頃は、それはもう自由だった。

親も、先生も、ほったらかし。

道草をヤマほど食った。道草で満腹の草食動物だった。

通学路には新鮮な刺激がいっぱいあった。

そのぶん、危険を察知するアンテナを自然に身につけていった。

自由気ままに遊べる放課後。暗くなっても危険だなんて思わなかった。

もちろん、いつの時代にも「危険な人間」は存在していたが、

私が子供の頃は運良く奴らに出会う確率が少なかったのだろう。

また、他人の子供であっても「見て見ぬふりをしない大人」の眼が光っていたので、

危険な人間が容易に子供に近づけなかったのではないか。

上っ面の個人主義とか、せせこましい個人情報保護法とは縁のない、

きちんと人間同士がつながっていた社会があった。

親は夜でも平気で子供をお使いに出した。

何から何まで知り尽くした道であっても、さすがに夜道は怖かった。

走っても、走っても、月が追いかけてきた。

お使いを済ませて、家に入る前に見上げた星月夜。

大きな星が「この臆病者め」と笑っていた。

いまの子供は夜道を独りでお使いに行ったりするんだろうか。

家の灯りを見て安堵したりするんだろうか。

大人に向かっている自分を実感して、ふふっと笑ったことがあるだろうか。

道草を禁止するのは「世間を識る歓び」を禁止するようなもの。

道草を禁止するのは「感覚を磨く歓び」を禁止するようなもの。

子供がどんどん弱くなっていく。

世間がどんどん小さくなっていく。



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