12月31日 Merry 大晦日



伊豆へ移住したのは1996年4月。早いもので11回目の冬を迎える。

今年もまた強い西風に、不甲斐なかった日々を責め立てられ、

目的もなく、ただ生きているだけ、ただやり過ごすだけの毎日に、どうやって落とし前をつけるのか。

いつ、どこで、ケジメをつけるのかと詰め寄られるが、

脳天気なオヤジは、とくに弁明もせず、少し恐縮して身を竦めるばかり。

こちらが年末だからと多少の反省をこめて下手に出ているのをいいことに、

伊豆高原を形成する万物が、ここぞとばかり好き勝手なことをまくし立てる。


一昨日の月光は、無意味な生などひとつもないと自信たっぷりに断じ、

一昨夜の星々は、生に意味を求めるのは虚しいことだと小声で言い、

いつもは寡黙な路傍の石までが饒舌になって、所詮、生は死の裏返しだ。

いつ死んでも、この瞬間に死んでも、悔いることは何もないと言った。

存分に生き、存分に死ね。

そして、この世に生きた爪痕や足跡を残すような無粋な行為は慎めと説き、

生きとし生けるすべてのものは、生を畏れ、死を敬えと呟いた。


生と死の不確かな狭間で生かされている、ちっぽけな人間。

この世にあって、数億兆個の生と死がひしめき合う宇宙銀河にあって、

自分は、ただ一個の独立した生者であることを強く自覚せよと、

温順な体型の大室山がいつになく強い口調で言うと、門柱に飾られた松が、ざわわと揺れた。

伊豆高原の片隅で11回目の冬を迎えたスキンヘッド男は、それを吉兆の松籟と勘違いして、

来年は、いいことづくめのオンパレードだぜ! と楽天家まるだしの顔で悦に入る。


冬ならではのミカン色の斜光が、一年の無事を祝福し、大晦日の家々を明るく染め上げる。

大島から吹き上がる海風は「望みを捨てず、さらりと生きよ」と言い、

天城から吹き下ろす山風は「誰にも頼らず、自分を道連れに、しぶとく生きよ」と言う。

至極真っ当な頂門の一針、わかりやすい檄に背中を押されて、今年最後の散歩に出た。




伊豆高原日記をご愛読くださいましてありがとうございました。

大病もせず何とか無事に2006年を乗り切ったようです。

健康な身体で新年を迎えられる。それで充分です。

皆様のご多幸を祈念いたします。

ありがとうございました。



ことしも 楽しう おましたなぁ。 ほな♪




inserted by FC2 system