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●8月10日:初雪草とヒグラシ
気温は午前中に30℃を軽々と越えて、水銀柱の限界に挑戦しそうな勢い。 アブラゼミやミンミンゼミが狂ったように鳴いている。 脱皮したばかりの幼いセミまでが懸命に羽根を震わせている。 ナニをそんなに焦っているのか。 セミたちが声をそろえて言う。
いえね、あっしらにとっちゃ夏はオヤジみたいなもんですから。 夏に見守られてこそ、気持ち良くガシガシ鳴けるわけで、 秋っくさい風なんぞが吹いた日にゃ、あっしらセミの出番はありません。 未練たらしくウジウジ鳴こうもんなら、ウロコ雲の叔父貴に怒鳴られます。 てめぇら、とっとの失せやがれ! 夏の頂点8月5日が過ぎ、立秋が過ぎ、さくらの里ではコスモスが咲いています。 かろうじて夏は残っていますが、すでに秋の影がチラチラしてますよね。 土の中に7年もいて、夜間に羽化してようやく地上に出たと思ったら、 もう秋の気配っての、やめてほしいっす。 苦節7年、何のためですか? これって、ひどすぎね? おっと、グチを言っても始まらねーや。 いまのうちに心置きなく鳴きますか。2週間の命なんで。 さ、求愛、求愛、求愛。
蝉時雨ならぬ蝉豪雨の下で、ひっそりと初雪草が咲いていた。 とても小さな白い花が、セミの鳴き声に共振して微かに震えた。 無慈悲な主人の勝手で花の咲く植物がほとんど処分された庭。 白い庭づくりの名残雪とでも言おうか、初雪葛と初雪草だけは捨てられずにたくさん残った。 こぼれ種でいくらでも増える初雪草。 真夏の庭に降る淡雪は、姫沙羅の木陰で昼寝さえすれば、消えることはない。
夏の恋。 初雪草は、ヒグラシが好きだ。 思い入れたっぷりに鳴く夕暮れのヒグラシではなく、 夏の夜明け、野鳥を起こしてまわる、薄明のヒグラシが好きだ。 朝の鳴き声には一日を存分に生きてみせるという剛直な響きがある。 夕暮れのような女々しい羽根の震わせ方はしない。 朝は、カナ?カナ?カナ?とは聞えない。 朝は、可能!可能!可能! と聞える。 いつまで生きられるカナ?と問うても詮無いこと。 死ぬときは死ぬ。それまで懸命に生きるだけだ。
初雪草は、明日をも知れぬヒグラシの命を想い、心がふさぐ。 ヒグラシもまた威勢のいい朝とは打って変わって、夕暮れには悩み多き蝉に成り下がってしまうが、 一夜明ければ、再び元気なヒグラシに戻り、野鳥の目覚ましになる。 密かに想いを寄せる初雪草のことなど気づきもしないで、朝の勤行に励む。
初雪草は、2週間後に死ぬとわかっていても、上を向いて生きるヒグラシが大好きだ。 そんな初雪草だって今夏限りの一年草。 秋風が吹けば種を落として枯れていく。 ヒグラシと初雪草、いずれにしても、ひと夏の恋。 儚いやつらだ。
午後8時40分。 遠く、遠く、伊東按針祭の花火が聞える。
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