1997年1月。

元旦。伊豆高原で初のお正月である。新年を静かに祝いたいものであるが、

そこはアホバカ3人である。快晴の元旦、おせち料理もそこそこに散歩に出る。

ウチから海沿いの富戸駅まで往復2時間。往きは下りだから気持ちがいいが、

帰りはずっと登り坂。3人ともヘトヘト。途中、墓地があり、そこで妹は、

いつものように「アタマ、痛い、痛い」。霊感が強いのかバカなのか、わからん。

そういえば妹の部屋の蛍光灯、よく切れるんだけど、関係ありますか?

冬の雑木林はよく陽が入って明るい。夏の鬱蒼とした森とは違う風情があって良い。

1月3日。いつも同じ道ばかり歩いていてもつまらないのでルートを変えてみた。

ウララカ家秘密のピクニック・ポイント高室山の頂上から森を抜けて下に降りる。

どこへ行くやら見当もつかないまま、フリース・パンツをトゲだらけにしながら、

黙々と下る。行けども行けども、大きな道に出ない。ここはどこですか。

かれこれ3時間は歩いてるぞ。妹は足が痛いと言いだすわ、妻は仏頂面だし。

誰にも会わない。人家まったく気配なし。クルマの音も聞こえない。

まわりは森ばかり。視界がきかない。足にからみつく藪、枯れた枝が頬を打つ。

オレたちは、脱獄した囚人か、逃亡兵か、はたまた平家の落人か。いまは冬だから、

八甲田山・死の行軍だ。伊豆山中でアホバカ3人、散歩中に遭難。いまだ行方不明。

くぅ〜、ナイスな見出しだぜ、伊豆新聞。正月からビッグなニュースだ。

疲れ果て、3人ともメソメソ泣いている。そのとき、藪の中から、クマが出た。

万事休す、番茶に急須。私は、こういう笑点系のシャレが大嫌いである。

それはヒグマでもグリズリーでもなかった。ただのオジイサン。言葉もしゃべる。

こんなところで、何してる? どうも道に迷ったみたいで。遭難したらしいんです。

バカ言っちゃいけねえ。下に30分も歩くと「セブン」に出るよ。

コンビニ? ありがたい。そうなのか、あと30分か。助かった。

雪山などで山小屋までわずか5分の距離が歩けなくて遭難した話を聞く。

それまでの疲れがウソみたいに猛スピードで歩く。まるで走るようだ。

おお、見えた、見えた。毎度おなじみ、セブンイレブン、いい気分。

帰路はそこからタクシーで帰った。危機一髪、伊豆山中・死の行軍のお粗末。


老人がしゃべる横文字言葉は、省略が多い。先ほどの山中で出会った老人も然り。

セブンイレブンはセブン。いつだったか散歩中に立ち話した近所のオバアサンは、

私の仕事の話になって「東京まで行かなくてもFAXやメールで仕事できますから」。

そう説明すると、私は年寄りだから、難しいことはわからないけど、

ファックなら知ってる。電話機で手紙なんかを送れるんでしょ。

いや、ファックじゃなくてFAXですけど。ファックで仕事って、オレは、AV男優か。


ショック! 大ショック! 道路を挟んだ西側の雑木林に家が建つ。

夏には西日を防いでくれて、とても気持ちがよかったのに残念だ。

これで雑木林は北側だけになってしまった。参考までに位置関係を示す。

こうして見るとずいぶん建て込んでいるように見えるだろうが、建物のほんとんどは、

誰も来ない空き別荘である。ここではウチとMさんの2軒だけが永住している。

西側雑木林の建物は、大工に聞けば、私が憧れていたハンドカットのログハウス。

いいなあ、うらやましいなあ。じっくりと建築行程を見せていただこうか。

以後、半年間にわたって建築の槌音が鳴り響き、森の静寂は破られる。

少しずつ森は人間たちに浸食されて、緑が少なくなっていく。

それを声高に嘆き非難するのはのは別荘を持つ都会人。

かれらは異常に自然保護に熱心だったりして、どうも、なんかヘン。

ウララカ家は、自然に何も求めない。流行の「癒し」など求めるわけもない。

自然とのつきあい方は、ただひとつ。何も足さない、何も引かないってやつ。

そこに緑の森があるなら、そのままを受け入れ、ただ楽しむだけ。

伊豆高原は寒い。庭の水道が凍り付いた。標高350m、南東斜面、冬は風が強い。

ものすごい風が家にブチあたるように吹いてくる。

一日中、ガスストーブを焚いている。それでも散歩は欠かさない。

着れるだけ着こんででかける。伊豆の瞳というか大きな池「一碧湖」まで行き、

近くの小学校の校庭で遊んだ。冬休みで誰もいないが、

隅のほうでふたりほど子供がキャッチボールしていた。アホバカ3人で鉄棒をやる。

逆上がりが、なかなかできなくて驚いた。何回も挑戦して、ようやく。

こんなものかつては軽くできたのに、若い気でいてもトシは鉄棒に現れる。

いつのまにかキャッチボールふたり組がきて、軽く逆上がりをして見せた。

人生、逆上がり」でも、なんでもいいから、おまえたち、しっかり生きろよ。

湖の見える校庭か、この小学校、いいな。

2月。炎、舞い踊る庭。

2月になると、突然、暖かくなってきた。昼間の気温が13℃。3月下旬の気温だそうだ。

これだから伊豆は好きだ。早速、散歩だ。大室山までの裏ルートを歩く。

上級者用のスキーコースみたいな急斜度の坂道。ダメだ、息が切れる。

妹が来ない。振り返っても姿がない。あいつ、フケやがったな。

仕方ないので妻とふたりで大室山ふもとにある「さくらの里」まで行き休憩。

帰宅すると、妹は夕飯の米をといでいた。「だって、死ぬかと思ったモン」。

この虚弱体質女が、2年後、奥野ダム一周、約5kmを走り切る女になるとは、

伊東オレンジビーチ・マラソン一般男女10kmコースにエントリーするとは、

誰が予想できようか。人は、変わるものである。

2年後には走る女に変身する妹。

2月24日。はじめての芝焼きをする。雑草の種や害虫駆除の目的があるらしい。

晴天のポカポカ陽気なので、下田方面に遊びに出かけようとしていたら、

Mさんに声をかけられ、芝生を焼いてみないか。なんか、おもしろそう。

本来は伊東市の観光イベントである「大室山の山焼き」に合わせてするらしい。

★1997年の「大室山の山焼き」は、3月2日・日曜日だった。

新聞紙に火をつけて燃やしていく。風がまったくないので、少しずつしか燃えない。

これじゃ、つまらん。早速ホームーセンターからガスバーナーを買ってきて、

あとはもう残虐非道な放火魔となる。気持ちいいくらいメラメラと炎があがる。

調子に乗ってやってたら垣根まで焼いてしまい、気がつけばサザンカ黒こげ。

Mさんが様子を見に来て「これは景気がいいなあ」。ガスバーナーを貸す。

あまりの炎の強さに、Mさん、うっかりしてサンダルの先まで焼いてしまったが、

来年は彼もガスバーナーを買うことに決めたらしい。人は、炎を見ると興奮する。


3月。伊豆群発地震に花壇も揺れる。

ま、地震については最初から覚悟してましたがね。でも、これほどとは思わなかった。

3月3日。一日1000回以上の微震がつづいている。軽い船酔い状態だ。

で、忘れた頃に、ドンと大きなヤツがやってきて、あたふたして…。

ここは岩盤層だから少々の地震なら大丈夫だと不動産屋は豪語していたが、どうか。

おまじないのように「アルプスの天然水」を3ケース買い込んで気休めにする。

しばらくして、いつのまにか揺れが収まると、もう地震のことなど忘れている。

天災は、忘れた頃に、やってきては困るのだ。

だって「アルプスの天然水」は半分以上も飲んだし、クラッカーも食べてしまった。

あとは地震保険におすがりするばかり。フィリピンプレートの沈静化を望む。

庭は、春満開である。「伊豆の白い庭」にも書いたと思うが、この頃は、

むやみやたらと花を植え込んでいたから、次々と開花して、驚くくらい。

強い早春の風が、花びらを吹き飛ばし、細い茎を折りそうで、いらつく。

ほんとうに3月は風の強い月だ。それとも、この高原だけが、そうなのか。

英国にこんな言葉がある。3月の風と、4月の雨が、美しい5月をつくる。

ならば美しい5月を待とう。

4月。桜満開。伊豆高原のタケノコを掘る。

4月は桜である。桜の時期、ウララカ家は桜を求めて忙しい。

3人とも桜が大好きなので毎日がお花見。期間限定の花は、気ぜわしい。

伊豆高原駅からの桜並木、イトーピア一碧湖別荘地の桜広場、

イトーピア別荘地Bの桜並木、東大室の遊歩道、王者・さくらの里、

そして、奥野ダム(松原湖)の桜並木周回道路などなど。

このほかにも桜を楽しむ、ウララカ家だけの秘密の「桜の園」が数カ所ある。

花見初日は景気よくホテル特製の「豪華花見弁当」で宴会。

2回目からはセブンイレブンの弁当とお茶。「お弁当、温めますか」ってやつ。

余談だが、コンビニの店員は、アレ、口癖になってるよね。

いつだったかボールペンを3本買ったら「ボールペン、温めますか」って聞かれた。

標高350m、東南斜面にある高原は、相模湾の湿気を呼び寄せて、霧がよくでる。

最初は「霧って、ムーディね」などと言ってた妻も、洗濯物が乾かないので、いらつく。

妻はヒマさえあれば洗濯と掃除をしている、キレイ好きなハウスキーパーなので、

伊豆高原の湿気が気にくわないらしい。長所もあれば欠点もあるさ。

しかし、植物にとっては、この適度な湿気はなによりありがたいとみえて、

庭中、花だらけになっている。なかでもキンギョソウ、かすみそう、スノーフレーク。

この寄せ植えプランターが、いい感じで私のお気に入りである。

4月15日。ウララカ家恒例の「桃の花見会」にでかける。山梨県の一宮町は、

町中がすべて桃畑みたいなところである。花の時期はまさしく桃源郷となる。

桜とは違う「桃色」の花が可憐で美しい。もちろん、桃自体も大好きだ。

4月だけならここに住みたいと思う。あとは、たぶん、農薬散布の嵐だろう。

観光客も多い。盆地特有の気候で空気も乾燥している。

ここなら洗濯物もよく乾きそうねと妻は羨ましがる。だが寒暖の差が激しい。

だいたい果物がおいしい町は盆地で気温差が激しいと相場が決まっている。

つまりメリハリがある場所。それに較べて伊豆の気温は、のほほん。メリハリなし。

一年中、うららか。まあ、我が家にぴったりということか。

4月23日。ペルーはリマの日本大使館人質事件が解決。

フジモリ大統領は得意満面だったが、数年後、日本へ逃亡することになるとは。

ああいう笑顔の男は、信用できない。妻はいち早く彼の正体を看破していた。

4月24日。隣家のMさんに誘われて、近所の竹やぶにタケノコを堀りに行く。

初めての体験。父さん、ボクは、ドキドキしていた。

その場所は明らかに他人の地所と思われ、でも、観光用のタケノコ農園ではなく、

持ち主もあまりタケノコには関心がないと思われ、ほったらかしのようで。

30cmくらい伸びたヤツを、スコップでざっくりと掘りあげるわけで。

父さん、気がついたら10本以上もとっていました。いいんでしょうか。

Mさんは老齢なのに力はあり、彼の戦果も上々で20本以上。すごいです。

その日の晩飯はもちろんタケノコ。うまかった。農耕民族の精髄を堪能した。

いつも立ち話する例の「ファックで仕事」のオバアサンにも5本プレゼントする。

5月。伊豆の踊り子シスターズ、誕生。

さすがゴールデンウィーク、観光客でどこもかしこも大渋滞。

伊豆東海岸の最大の欠点は交通網。クルマは135号線1本に頼るしかなく、

電車は異常に運賃が高い伊豆急のみ。往きは楽しいが、旅疲れの帰路渋滞は、

もう二度と伊豆はゴメンだと思うに違いない。ごめんね。

近所のホテル・貸別荘などもすべて満員。深夜まで大声が響き渡る。

でも、これに懲りずにまた来てね。伊東市は観光収入が最大の財源なわけで、

あなた方が落としてくれるお金で近所の道路も良くなっていくわけだからさ。

夕方、渋滞してたら日帰り温泉にでも入って、ゆっくり帰りなよ。

妻と妹が、伊東市のカルチャーサークルに加入。「レクレーション・ダンス」。

ほんとうは社交ダンスを学びたがっていたが、私が、それだけはやめてくれ。

見てると気持ち悪くなるからと懇願。もっとフランクなダンスに替えた。

妻から「シャルウィダンス?」といわれても、なんだかなあ。

最初、気乗りしなかった妹も教室に通うにつれ、ノリだして、この時期は、

毎晩、リビングで練習していた。ただし、ダンス曲が演歌だったりする。

まあ、ふたりが楽しければ、いいさ。おもしろそうなことを発見し、

実際に経験してみること。これはウララカ家ライフスタイルの基本方針である。

2002年1月現在まで、週2回、ふたりのダンスはつづいている。

6月。梅雨、押し花、はじめてのホタル。

いよいよ梅雨入り。伊豆高原に本格的な湿気がやってきた。雨と霧のダブルパンチ。

毎日じめじめ。庭にでることもできない。こんな日は、ビデオの映画を見るか、

本でも読んでるしか時間がつぶせない。晴耕雨読とは、このことか。

台風7号通過。翌日の気温28度。Tシャツ・短パンでも暑い。まさしく台風一過。

花壇の花々が倒れて無惨な状態。背の高いヒマワリは全滅である。

ヒマワリ担当の妹、大ショック! 太い茎がボッキリ折れている。

このまま捨てるのも惜しいので再利用を考える。そうだ、押し花を始めよう。

さっそく押し花セットを買ってきて、手始めにモントブレチアの花を使う。

花びらの乾燥が中途半端だったためか、第一作はみごと失敗。ガラスに汁がついた。

2回目からは電子レンジでばっちり乾燥。圧縮にも時間をかけた。

花びらの色と形の組み合わせで自由自在にデザインできる。けっこう楽しい。

この時期、花はいくらでもある。白い金平糖のようなシャラの花、アルストロメリア、

ヘメロカリス、ポーチュラカ、ブルーデージー、百日草、朝顔、クルクマ、

カンナ、カイガラ草、矢車草、マダカスカルジャスミン、スケボラ、ダリア、

グラジオラス、デモルフォセカ、トレニア、アメリカンブルー、ナデシコなどなど。

押し花のコツがつかめたので巨大な作品に挑戦する。ヒマワリ一個そのまま。

計画はみごとだったが花が大きすぎて電子レンジに入らないので、

日干しにして一週間。なんとか乾燥し終えたので、こんどはプレス。

庭にある煉瓦を重しにして、またも一週間。これで良し、準備OK。

みごと押し花ヒマワリの完成、と思われたが花が厚すぎて額とガラス内に収まらない。

ぎゅうぎゅう押し込んでたらガラスが割れて破片が飛び散る。

指を少し切った。血も出た。芸術は爆発だ! 岡本太郎。

6月12日。伊東市丸山公園にホタルを見に行く。妻と妹はホタルをはじめて見る。

はかない光りが、けなげで、いいなあ。まるで地上2〜3mを飛び交う星々。

妹の髪にホタルがとまる。淡く輝く、光りのかんざし。

毎年、ここに来よう。6月12日は「ホタルの日」とする。

7月。信州と飛騨高山へブラリ旅。

ある日、突然、どこかへ行きたくなる。昔からそんな癖があった。

一カ所に長くいると、なぜか知らないが息苦しくなってしまう。

この性癖と関係があるのか、私は、子供の頃から遊牧民族にあこがれていた。

「モンゴル遊牧民・大紀行」などというテレビ番組は欠かさず見ている。

天気予報で「明日は快晴」とわかると、パッとでかける。

伊豆から信州へ。八ヶ岳、蓼科、八千穂高原、安曇野。空気が乾燥して気持ちいい。

翌日は乗鞍高原から飛騨高山、木曽を巡る旅、一泊二日。

会員制のホテルを使用したので安上がりの旅行であった。楽しかった。

伊豆へ帰って妻が言う。「やっぱり、ここが、いちばんいいね」。ほな、アホな。


8月。夏休み、水彩画、盆踊り。

伊豆高原、二度目の夏。来客が3組。久しぶりに大いに歓談。

私の友人は、どうしてみんながみんなオシャベリな人ばかりだろうか。

酒が話題に追いつかない。もう飲むものは何もない。料理用の日本酒でも、いいか。

とにかく話題はつきない。次から次と変幻自在、縦横無尽、支離滅裂。

ミミズの進化論、ホーキング博士の宇宙理論、ドイツ・ポルノサイトの評価、

税理士の報酬、CM業界の最新事情、伊豆の観光資源再開発プラン、

女優・黒木瞳は、ほんとうにイイ女か、どうか。具体的に述べよ。

いや、オレは、シャロン・ストーンだ。小柳ルミ子だって、まだまだイケル。

日本には、役所広司しかいないのか。ほかの男優は、どうした。

さらに先日亡くなった勝新太郎の功績、座頭市の裏話まで、おしゃべりはつづく。

私は、思う。自分が多弁症なので必然的に多弁な友を選んでいたのだ。

私も妻も、友人の数は極端に少ないが、なぜか無口な友人はひとりもいない。

かつて妻の友人(美人で独身)が、こんなことを言っていた。

いい男で無口。一見、女性にモテそう。しかし、3日もつきあうと飽きる。

なぜなら彼はアタマ空っぽで中身なし。何を話していいか、わからないそうだ。

顔だけに頼って生きてるから脳がどんどん退化する。見栄えばかり気にしている男。

うなずける。どこかの男性タレントを見れば一目瞭然。

映画ではカッコいいのに、なにかのレポーターをやったら、わけわからなくなってた。

でも、妻は言う。それにしてもアンタの友達は、うるさすぎる。

おしゃべりを超えて病気。男だけで徹夜でおしゃべりなんて、バカみたい。

以来、私の友人が遊びに来ると、妻と妹は、近くのホテルに宿泊避難する。

8月15日。別荘地自治会主催の盆踊り大会。

踊ることが大好きな妻&妹は、開始30分前から会場に到着、そわそわしている。

すでに待つ体勢が「踊り、踊るな〜ら、東京ー音頭ー」になっており、

いまや遅しと「三池炭坑に月が出る」のを期待し、

頭のなかでは「さの、ヨイヨイ」のリズムが鳴り響いているに違いない。

2時間、踊りっぱなし。帰宅してからも踊りつづけていた。バカがとまらない。

8月26日。高原の喧噪が潮が引くように納まると、初秋。

庭の水やりを終えてテラスに立つと、スッと涼しい風が吹きわたる。

積乱雲も一時の勢いはなく、夕立の回数も減ってきた。目立つのは赤とんぼ。

まさしく群舞している。私は蝶も好きだがトンボは、もっと好きである。

なにしろ英語名がいい。その名も、ドラゴン・フライ。空飛ぶ龍である。

夕陽に光るトンボの羽根が美しい。私のクリエイティブ魂に、火がついた。

納戸から水彩画セットを取り出して、またたくまに数枚描きあげる。

久しぶりの水彩画、おもしろいのでこのままつづけよう。題材は無尽蔵。

オイルペイントの絵の具を買ってきて、プランターにも描きはじめる。

描き込みすぎて花が目立たないのもいくつかあったが、まあ、いいか。

男たちの無駄な会話、盆踊りに浮かれる女、打ち上げ花火の燃えかす。

日焼け止めクリーム、ビーチサンダル、押し花に水彩画。大判写真が数点。

こうして伊豆高原の夏は、ウララカ家のいくつかの喧噪の名残りと、

都会へ帰った別荘住人たちのゴミを大量に残して、秋にバトンタッチする。

9月。小さな秋、栗ごはん。

春のタケノコ狩りにつづいて農耕民族の復活である。今日は楽しい栗拾い。

ごくごく近所の雑木林に栗の木が数十本ある。持ち主不明の栗林だ。

古くからの住人の間では、秋の栗拾いの名所としてつとに有名らしい。

ビニール袋を3つ持って出かけるが、拾ったのは30個ほど。

あとから来たオバアサンいわく「大きい栗は、私がみんな拾った」と得意顔。

なんだい、ここにあるのは余り物か。でも、いいや。栗は栗だ。

皮むきに手間取るが、翌晩、さっそく栗ごはん。甘くて、おいしい。

元手が掛かってない食材は、うれしい。小さな秋の、小さな収穫。

10月。悪夢の横転事故、奇跡の復活。

どこかで書いたと思うが、私の趣味のひとつに写真撮影がある。

4×5サイズの大判カメラで主に風景を撮影する。

写真は正直だ。撮影者が、何を見てるか、何を感じたか、どんな視点を持っているか。

すべて一枚の写真に赤裸々に現れる。全人格が暴露されると言ってもいいだろう。

信州に一泊二日の撮影旅行。基本的に撮影時間は、光りが斜めに差し込む、

早朝と夕暮れ、二つの時間帯のみ。従って伊豆出発は、午前3時くらい。

撮影ポイントで日の出を待っている。金星が稜線の上で輝いている夜明け前。

太陽が昇る寸前の静かで透明な時間、なんと素晴らしいことか。

空の色合い、まさしくドーン・パープル。ユーミンの曲が聞こえそう。

私のカメラは、撮影するまでに少々時間がかかるので、

普通の35mm一眼レフカメラを機関銃、私のカメラを火縄銃に例えている。

撮影対象にベストの光りが差し込むまで何時間も待ち続ける。

そして息を殺すようにしてシャッターを切る。火縄銃は、一発必中。

いつもいつも絶妙の光りと撮影ポイントが見つかるとは限らない。

ただただ無駄に走り回る日もある。そんなある日、走行中に横転事故に遭う。

信号のない交差点。左サイドから突っ込んできた乗用車に激突された。

私の車は、斜めにかしいだまま10mばかり走行し、

そのままコンクリート壁に右サイドから激突した。

そこで止まると思いきや、土俵際の貴乃花、残った、残った。すごい粘り腰。

体勢を立て直してなおも走りつづけたが、ついには右側を下にして横転、息絶えた。

私は何がなんだかわからないまま気がつけば横倒し状態のまま。

見上げると左ドアが真上にある。車内にはいろんなものが散乱している。

町中の交差点だったので、たちまち多くの野次馬が集まってくる。

「大丈夫ですかぁ?」「すごい音がしたもの」「こりゃ、死んでるな」

「この人、横になったまま動かない」「坊さんを呼べ」「今夜はお通夜だな」

「…ってことは、あさって本葬か」「曹洞宗か」「弔辞は町内会長に頼もう」

「焼き場が混んでなければいいが」「晴れれば、いいが」「香典は、いかほど」

「お母さん、おなかすいた」「宿題すませてからって言ったでしょ」

「葬式まんじゅう、食べたい」「待ってなさい。もう少しだから…」

みんな言いたい放題である。私は、それらすべての言葉を冷静に聞いていた。

幸いシートベルトをしていたので、奇跡的に無傷。どこも痛くもなんともない。

自分でも思う、まったく悪運の強い男だぜ。これだけの事故でも平気の平左。

しかし、サービス精神が人一倍旺盛な私は、野次馬の期待に応える義務がある。

両手両足&脊椎骨折、全身打撲、全治20年、再起不能を思わせる動きで、

たっぷり時間をかけてドアに這い上がり、ようやく外へ脱出した。

死んでると思った人間がクルマからはい出てきたので野次馬びっくり。

みんな後ずさる。が、そのうちの一人が気を取り直したように、小さな拍手。

私、ほほえむ。つられてみんなも拍手。奇跡の生還、世紀の脱出、引田天功。

なかには紙テープを投げてくる人もいた。父さん、ボクは、南極観測隊ですか?

もっとも喜んだのは、激突してきたドライバーだろう。泣いている。

同乗者もひたすら謝っている。私は鷹揚に構え「大丈夫、心配ないから」。

心清き者、カスリ傷ひとつなし。よく晴れた9月の午後である。

その後、5時間かけて大破したクルマとともに伊豆まで陸送された。

家に帰り一部始終を100倍にふくらませて、妻と妹にたっぷり聞かせてやった。

ふたりとも「葬式まんじゅう」という言葉にウットリしていた…。

11月。歌って踊れる税理士・天野のこと。

山一証券が倒産して世間は金融パニックで大騒ぎ。世に不動のものなし。

そんななかノンビリした顔して友人・天野がゴルフバッグをかついで遊びに来た。

天野は私の数少ない友人である。相手はどう思っているか知らないが「友人」である。

ここにハッキリと書くが、私には友人が3人しかいない。

税理士・天野、セブンイレブン・野口、不動産屋・斉藤。

知人は星の数だが、友人は少ない。では、友人の定義とは何か。

まず、私が気に入った男であること。気に入る条件は、ここでは明かせない。

次に死ぬまで五分と五分の間柄であること。手助けもしないが助けも求めない。

世間では友人が困っているから助けるという話をよく聞く。

かつて倒産した社長とその友人がともに首つり自殺をしたというニュースがあった。

遺族の方には申し訳ないが、何をかいわんやである。

それは断じて違う。這い上がってくるのを黙って見守っていればいいのだ。

貸し借りは一切なしだ。そのかわり友人が、どんな境遇になろうとも、つき合う。

中国マフィアになろうと、ビン・ラディンの手下になろうと、性転換しようと、

たとえボロボロのホームレスになろうとも、私は快く家に迎え入れるだろう。

我が家の三ヶ月分の食費をはたいて山海の珍味フルコース、満漢全席。

ありとあらゆる料理を用意して全力でもてなそうではないか。

そして、まっさらなシーツの温かいベッドで寝ていただこう。

もっともその前に、たっぷりと風呂に入ってもらうことになるが。

天野は私の人間性というか本質を的確に見抜いている男でもある。

学生時代、デパートのお中元お歳暮の仕分けアルバイトで知り合った。

彼は偏差値の高い超有名大卒。私は「イチゴが3つあります、ふたつ食べました」。

「さあ、残りのイチゴはいくつですか?」という試験問題がでる大学の出身である。

いや正確に言うと大学除籍である。学費を払わずに遊んでいたので、除籍だって。

ちなみに妻とはそのアホバカ大学の落語研究会で知り合って、即、結婚した。

することをして、きちんと責任をとったわけだ。私はなかなか義理堅い男である。

なんか丈夫そうだからカミさんにするにはいいと思った。健康がいちばんだ。

反対に、愛人の条件は、とにかく色っぽくて、お料理上手の床上手。これだ。

頭が良くて、頑丈で、色っぽくて、やりくり上手、料理がうまくて床上手。

これが理想なのだが、私は、こういう女性にお目にかかったことはない。

まもなく結婚30周年を迎える。それなりに楽しい日々を過ごせたのではないか。

さて、天野である。彼は、私と長い間つき合ってきたので、シャレが利く男だ。

少々のことを書いても気にしないはずだと踏んでいるが、どうか。男の試しどころだ。

大学を卒業してから、なにを間違えたか富山のあぜ道を軽トラ走らせて、

ロッテのガムやチョコレートを売り捌く仕事に就いた。いわゆる新人営業マンだ。

東京出身の彼がいきなり富山のあぜ道。涙に暮れる日々。オカアサ〜ン。

富山だから薬売りの友人が何人もできたとうれしそうに語っていたのが印象的。

だが、ある日、「自分は何をしているんだろう」と人生に疑問を持つ。

急転直下、税理士になろうと決心する。この変わり身の早さは私に似ている。

自分がすべきことは、すべて自分で決める。決して他人に相談などしない。

ナニナニになろう、ナニナニをしよう、と思いますが相談に乗ってくれません?

この言葉を吐いた人間は、まず間違いなくダメである。

自分の進むべき道は、自分で調べ、こうと決めたら闇雲に突進していけばいいのだ。

その結果、大失敗しても、なんら恥じることはないのに。

国家資格である税理士免許を取得するのに平均5〜8年かかるらしい。

ところが天野は驚嘆すべき集中力を発揮して、わずか3年で晴れて税理士となった。

異常に早い出世、デビュー早々、幕内力士だ。あっという間に真打ちである。

この間、社会のことは何もわからずじまい。文化に触れることさえなかった。

彼は、天知真理も、南沙織も、山口百恵も知らない。桜田淳子だけは、知っている。

数年後、独立して会計事務所を構える。

私の小さな会社の税務顧問として、ずいぶん安いギャラでがんばってくれた。

いまでは南青山で18名の社員を擁する事務所を構えている。

ガムを売って歩いた富山のあぜ道は、はるか南青山へと通じていたのである。

こんな事ばかり書いていると「天野太閤記」になってしまうので、話を変える。

ヤツは指が長い。異常に長いのでイカサマも得意で麻雀が強い。競馬も大好き。

酒が強い。塩をなめながら一晩中飲んでいる。そして話がくどくなる癖がある。

カラオケを歌わせたら、その濡れた歌声に女たちは失神する。妹は3日、寝込んだ。

ゴルフはコツコツ練習するが、あまりうまくない。映画にも、うるさい。

税理士資格受験期間の文化的空白を埋めるように映画を見まくっていた。

そして、彼の最大の長所は、きちんと「スジを通す」ことである。

これは言うは易し、横山きよし。私は、こういうシャレは大嫌いである。

「スジを通す」とは、白か黒か、明確にすることである。グレーはない。

旗幟鮮明。少し世間とぶつかるが彼は主張を曲げない。断じて譲らない。

商売の上では、大人だから折れることもあるが、基本的には頑固である。

グレーゾーンの生き方しかできない男が多いなかで、彼だけは、いける。

晩秋のゴルフコース。天野、私、イラストレーターの菊池も参加してゴルフ。

よく晴れた気持ちのいい一日。やはり「仕事」が入らないゴルフは楽しい。

それにしても天野の長い指は、ほかで活かせないものか、と思っていたら、

最近、彼は銀座の高級クラブで、指を不必要なまでにヒラヒラさせてから

「私、ロシア人のピアニストです」とか言って、ずいぶんモテまくっていると聞いた。

天野は、日本人とロシア人のハーフである。黙っていれば、そりゃモテる。

ラフマニノフ天野か? いいかげんにしろよ! 指、ツメルぞ。

母方の血筋は「ドストエフスキー」につながるらしいが定かではない。

12月。日本経済と失楽園。

山一証券倒産の影響か日本の金融システムに大いに不安が生じる。

そこで我が家でも少ない老後資金をどのように活かすか、検討をはじめる。

「10倍になる資産形成術」とかいう本を立ち読みするが、よくわからん。

古いタイプの人間なので、金が金を生むカラクリにどうしてもなじめない。

やはり金は汗して得るものだという考えが染みついているようだ。

また私は他人から指導されたり教わることが大嫌いな性分である。

だから「How to book」といわれる本は読んだことがない。

そりゃ確かに十代のときに「平凡パンチ」に掲載されていた、

「ひと晩で彼女をオトすテクニック」を読んだが、ひとりもオチなかった。

不良債権。いつも問題を先延ばしにして「その場しのぎ」をしてきたツケが

一気に吹き出してきた。こうなったら国ごといったん破綻して

ゼロから出発したら、どうか。すっきりすると思うぜ。

どうだい、大蔵省に銀行。一回でもいいから、きちんと責任とってみなよ。

1997年、日本経済は、荒れに荒れている。

にもかかわらず奥様たちは「失楽園」ブーム。役所広司、黒木瞳、渡辺淳一である。

妻もウットリしている。妹は独身、不倫願望をたぎらせている。

そんなアホバカふたりに向かって天城から強い西風が吹き下ろす。

伊豆高原の年の瀬。こたつ。ガスストーブ。結露。霜柱。年賀状宛名書き。

ウララカ家恒例の7日間連続大掃除作戦がはじまる。

正月用の花を活ける。まゆみの赤い実がリビングで萌えている。

来年も良い年でありますようにと願うウララカ家の3人を見て、

松の緑と白い百合が、静かに微笑んでいる。

どうか、ひとつ、1998年もウララカでありますように。

■1998年へ



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