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7月04日:そのひとことが言えなくて


6月29日、ツタヤ。先週の話で恐縮です。

確かめたいことがあって邦画のDVDを大量に借りた。

溝口健二と小津安二郎の全作品、田中絹代主演作品。

いつものようにカウンターで手続きをする。ツタヤWカードを出す。

と、バイトの女性が私を見て何かを言いかけたが、再び目を落としてレンタルの精算をはじめた。

旧作7泊ですね、○○○○円になります。いつもの事務的な口調。


彼女は何を言いたかったのだろう。

もしかすると古い邦画ファンなのかもしれない。溝口や小津が好きなのかもしれない。

わたしも、しっとりした日本映画が好きなんです。

映画の好みがわたしと似てますね。うふん、いやん。

きっと、いつか、わたしにお似合いの素敵な男性が現れると信じておりました。

それが、いっつ・なう! じゃすと・なう! ふぁんたすてぃく!

らぶ・みー・てんだー♪


てなことを私に伝えたかったのではないか。

揺れるまなざしが、逡巡する乙女の恥じらいが、そう物語っている。

さらに彼女はこんなふうに思っていたに違いない。


バイトが終わったら、徒歩3分のジョナサンでカフェラテを飲みながら、

この素敵な毛根減少過程の男性と、古い日本映画の話をして盛り上がりたい。

でも、いまはバイト中。

いくら美しいお坊さんでもお客様と私語を交わしてはいけないわ。

ああ、どうしよう? この熱い想いを伝えたいのに。

そうだ、DVDといっしょにメモを渡そう! 「ジョナさんに至急来られたし ハハキトク」。

いやーね、わたしったら。これじゃ電報じゃないの。バカみたい。

あ、メモを渡そうとして、いつも通りにお客様控えを渡しちゃった。あはは。

ああ、どうしよう?

いまよ、いま、打ち明けないでどうするの? わたし!

いま、プロポーズしないで、いつ、するの? じぶん!

いますぐ店を出て行かないで、そこにいて。 お願い!


仕事と愛の狭間で激しく揺れる女心、葛藤に葛藤を重ねる葛藤美女のわたし。

愛の嵐に身を焦がし、夢見る頃を過ぎても夢ばかり見続ける純愛症候群のわたし。

幼い頃から「そのひとこと」が言えなくて、オクテな人生を歩んできた。

でも、そんなわたしに、さようなら。はろー・まい・らぶ。あい・あむ・らぶ・ましーん!

ロマンチックなふたりの時間を想うだけで、ときめいて、興奮しまくって、今夜は眠れない。


彼女の瞳が揺れる。彼の睫毛が美しく震えた。

唇が妖しく開き、喘ぎ声を洩らす。

白く細い指が男の耳たぶを愛撫する。

黒く太い指が女の盆の窪を愛撫する。

彼女は歓喜の声をあげてシーツの端を握りしめた。

汗ばんだ裸身が、その瞬間、大きく反り返った。

弓なり、耳鳴り、夜のイナバウワー。

その夜、ふたりは、フランス書院。


毛根減少過程のお客様とわたし。

爛れた愛欲の一夜。愛のたゆたひ。愛の流刑地。

エロチックなふたりの時間を想うだけで、ときめいて、興奮しまくって、今夜は眠れない。

いいえ、わたしは熟睡おんな!

21時から7時まで、いつも規則正しい10時間睡眠の女です。

午前4時から「W杯・ドイツVSイタリア戦」があるときは、夜8時にベッドイン。 ←マジかよ

別名、眠れる森の美女…って、言い過ぎかしら?


とにもかくにも恋にときめいて眠れないなんて、一回も、ないの!

悲しいわね。笑ってもいいわよ。軽蔑されたっていいもん。

どうせ私は恋にはぐれた浜千鳥。愛しても愛しても報われないユリカモメ。

でも、でも、そんな自分と、さよならしたい!

言うべきことを言えない私と、ぐっばい、ぐっばい!


生まれ変わった私は、いま、彼とジョナサンにいます。うふ♪

映画や恋やふたりの未来を語る、ココアのような甘い午後。

ドリンク・バーでおかわりしたカフェラテは7杯目。

トイレ往復、いつのまにか頻尿老人。

つぎは趣向を変えて、ウコン茶にしてみようかな。うふ♪

小腹が空いたから、ピザを食べよう。

きょうは気取って「ピッツァ」なんて言ったりして。うふ♪


以下、延々と彼女の夢想がつづく…


帰宅してPCメールをチェックした。ツタヤからメールあり。はて?

6月30日より旧作レンタルがオール半額。

が、が、がががーーーーーーーーん!


謎が解けた。

彼女は「明日から半額ですよ」と言いたかったのだ。

だが、言えなかった。「そのひとこと」が言えなかった。

高校のとき、先輩の応援団長に憧れて、こっそり応援の仕草と発声練習をした。

かっせー、かっせー、伊高!

かっせー、かっせー、伊高!

「あなたが好きです」と告白するべきときに、応援団のマネをする、あたしって…。

ああ、ほんとにおバカさん。

わかっているけど、わかっているけど、そのひとことが言えなかった。


あれから、20年。

たったいま脳が命令した知的神経の動きは、超緻密な言語中枢で正しい日本語に変換された。

その言葉は口腔内を周回して前歯のすぐ後ろにいたが、彼女は言えなかった。「明日から半額ですよ」。

勇気を振り絞って喉奥に沈んだ言葉を引っ張り上げたが、彼女は言えなかった。「明後日も半額です」。

その言葉は唇から顔を出して微笑んでいるのに、それでも彼女は言えなかった。「わたしも半額です!」。

「そのひとこと」が言えなかった。

彼女も彼女なら、ツタヤもツタヤだ。

せめて「明日から旧作オール半額!」と掲示してほしい。

そういう小さなサービスが「まっとうな商い」ってもんじゃねーのか、ええ。

半額直前の日に大量にレンタルするアホな客を笑ってないで、

明日借りたほうがお得ですよ♪ と教えてもらえたら、どんなにうれしいか。

孫子の代まで永久にツタヤファンになろうってものさ。

商売は、堂々と、やろうぜ。

ライバル店が少ないからって商売のハートまで50%OFFにしなくてもいい。

伊豆高原日記のコンセプトは「辛辣なアホバカ日記」だから自由に何でも書きます。

たぶん伊豆新聞より読者が多いわけで、

日本はもとより世界中に熱狂的なファンがいる言葉のテロリストなわけで。

キーボードのスナイパーなわけで。

父さん、いつか、刺されそうです。

富良野は雪ですか。蛍は元気ですか。


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