●9月3日(水):想い出に生きる88歳
8歳から日記を書いてきた。克明な記録。喜怒哀楽の玉手箱。
時の堆積は優に300冊を超える。
数十年後。足元すら覚束ない、よぼよぼになった88歳の私がいる。
この日のために書いてきた日記を読み返し、昔を想い出して、ふふっと笑う。
毎日、毎日、何回も何回も愉快だった日々を反芻する。記憶の牛だ。
あんなこともあった。こんなこともあった。
あんな人もいた。こんな人もいた。
楽しかった数限りない出来事に懐かしい人々を重ねてみる。
みんな、変わっていない。昔のままだ。
そうやって愉快だった過去を、掌で温めながら、ゆっくりと撫でまわし、
へらへら笑いの午前を過ごし、苦笑いの午後をやり過ごす。
徹底した後ろ向きの生活。眩しすぎる太陽は背中に少し当たれば充分だ。
自分の長い影が愛しく思える秋。
過去のあれこれにしがみつきたい88回目の秋。
陽が沈むと同時に床につく。もう思い煩うことなど何もない。
明日、目覚めれば良し、縦んば目覚めなくても悔いはない。
88歳。充分に生きた。上出来だ。
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時間のザルで漉された、あの日あの時の情景や言葉とともに、
味わい深い人々の面影をたぐり寄せ、掬い上げて、手元に置こう。
過ぎ去った美しい時代をお茶菓子にして、出がらしの渋茶をすすろう。
日当たりのいい縁側で、日記帳を枕にうつらうつら居眠りをして暮らそう。
古ぼけた灰色の記憶であっても、そこにどっぷり浸かってみよう。
88歳の極楽、うららか日記温泉。
あー、いい気分だ。ほんとうに温かい。芯の芯まで温まる。
ひとり暮らしの素敵なまぼろし、想い出。